「鎌倉殿の13人」小四郎は無念にございます…時政・りくと今生の別れ。第38回放送「時を継ぐ者」振り返り:4ページ目
平賀朝雅の最期と“きく”のその後
さて、りくを殺せなかった義時の怒りは京都の平賀朝雅へ。意向を受けた広元たちが「罪状は何と」と殺すこと自体に何の違和感も持っていないのは、朝雅の存在が鎌倉にとって好ましからざるものと意識が共通していたのでしょう。
そして襲いかかる御家人たち。かねて公家かぶれっぽいキャラクターに描写された朝雅に期待するのも酷でしょうが、やはり源氏の武者らしく力戦して欲しかったところです。
『吾妻鏡』だと伊勢・伊賀国(現:三重県)で起こった平家残党の叛乱を3日で鎮圧する活躍を見せています(3日で鎮圧されたから「三日平氏の乱」)。粛清の手が迫る場面でも果敢に戦い、武士の意地を見せたのでした。
そんな朝雅の哀れな最期を知って悲歎に暮れるきく(演:八木莉可子)、「鎌倉は恐ろしすぎる……もう嫌だ!」と半狂乱の中原親能(演:川島潤哉)。
親能は承元2年(1209年)12月18日に66歳で亡くなるため、これから残り出番がどれほどあるのか分かりませんが、少しでも安らかに暮らして欲しいものです。
そして、最初から政略結婚の道具としてばかり扱われてきた“きく”は、後に藤原国通(ふじわらの くにみち)と再婚。伊豆で時政が亡くなった後、未亡人となったりくを引き取って安楽な余生を共にしたと言います。
劇中では一度も夫に愛されなかった“きく”が、少しでも愛されて欲しいと願うばかりです。
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