「鎌倉殿の13人」一度戦となれば、一切容赦はしない。第35回放送「苦い盃」振り返り:3ページ目
見抜かれてしまった“のえ”の本性
そんな中、義時に接近を図る“のえ(伊賀の方)”。祖父の二階堂行政(演:野仲イサオ)に何としてでも男児を産み、北条の家督を継がせる野心を吐露します。
物語は実朝の元へ御台所・千世が到着した元久元年(1204年)12月あたりと思われますが、彼女が長子(義時にとっては五男)の北条政村(まさむら)を産むのは翌年6月22日(奇しくも重忠が討たれた日です)。
よく言う「ちょっと計算が合わないな」というものですが、その辺りはドラマのご都合主義で見逃すようにしましょう。
子供が欲しいか、いたらいたで大変だなどと義時は呑気なことを言っていますが、女性としては男児を産むか否かが死活問題。これが義時の死後、北条の家督をめぐる争い「伊賀氏の変」につながります。
とは言え、義時の好感度を稼いでおきたい(ということは、まだ結婚はしていない)のえは「お子様は太郎殿がいるから、それで十分」みたいなことをいじらしく言っていました。
だがちょっと待って欲しい。前回あなたが追いかけっこをしていたちびっ子二人(後の北条朝時・北条重時)も義時の子供ですし、大河ドラマには登場しないでしょうが側室の生んだ四男・北条有時(ありとき。当時5歳)もいるはずです。
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こういう「義時(と、目についた泰時)以外はどうでもいい」と言わんばかりの態度が、やっぱり「そういう(北条の家督=権力を得る手段以外に興味がない)人なんだな」と感じられてしまいます。
現に三浦義村(演:山本耕史)は彼女の指先についていた飯粒から「握り飯を食べながら裁縫をするやつがいるか(≒裁縫をしていたなんてのは家庭的アピールの嘘に過ぎず、陰ではテキトーに過ごしていた)」と見抜かれていました。
やっぱり、女子(おなご)の見極めは平六に頼むべきだったか……ちょっと目が泳いでいた小四郎の演技が絶妙でした。
まぁ、それでも惚れているならしょうがないか……義村の態度は小四郎を尊重すると言うより「面白いから放っておこう」という本音によるものかと思います。
いつか最期に「私、本当は茸なんて大嫌いなの」などと宣告されないことを願うばかりです。