「鎌倉殿の13人」頼家&善児ロス続出、そしてがんばれ泰時…第33回放送「修善寺」振り返り:2ページ目
朝廷から送り込まれる御台所と教育係
さて、北条一族の増長を喜ばないのは朝廷でも同じ。
たくさんの州浜(すはま。ここではジオラマ)を作らせ、各地の景勝を楽しむ後鳥羽上皇。これは内裏、これは吉野の桜……そんな片隅に富士山の麓へへばりつくようなボロ家が一軒。これは鎌倉とのことで、よほど見下しているようです。
ちなみに劇中では言及がなかったものの、ボロ家の前に停泊している大きな帆船は、もしかして後に源実朝(演:峯岸煌桜)が宋(中国大陸)へ渡る夢を暗示しているのでしょうか。
鎌倉から使者にやってきた平賀朝雅(演:山中崇)を軽くあしらい、後鳥羽上皇は坊門信清(ぼうもん のぶきよ)の娘(坊門姫)を嫁がせるよう差配します。
喜び退出する朝雅に代わって入ってきた源仲章(演:生田斗真)の報告に、後鳥羽上皇は怒りを露わに。
「源氏は我が忠臣。その棟梁の座を坂東の田舎侍によいようにされるなどもっての外」
仲章「いっそ北条を潰されますか」
「実朝は大事な駒じゃ。やつらに取り込まれぬよう導くのじゃ」
実朝の名づけ親として、北条の傀儡(かいらい。操り人形)とならぬよう=朝廷の意に従うよう教育係として仲章が鎌倉へ送り込まれるのでした。
やがて鎌倉へ嫁いでくる坊門姫ともども、油断ならない存在となることでしょう。
実朝と和歌と母と乳母たち
そのころ、鎌倉では実朝の教育方針をめぐって尼御台・政子(演:小池栄子)と乳母の実衣(演:宮澤エマ)が対立します。
我が子が政争に巻き込まれないよう、早く鎌倉殿から退いて豊かな感性のまま和歌を楽しんで欲しいと願う政子。それに対して「自分が育てたのだから」と実朝を権力の道具にしたい本音が透けて見える実衣は平行線をたどりました。
政子の思いを受けた三善康信(演:小林隆。善信入道)はさっそく実朝に和歌の楽しさを伝えようと講義したものの、現れた実衣と仲章に撃退されてしまいます。
ててててて、てててててててて……まずはリズムを楽しみ、感じるままに花鳥風月の美しさを詠むことを伝えたい康信に対し、和歌はあくまでも天子(天皇陛下)の崇高な理念(世のあるべき姿や臣民の幸せなど)を謳う政治の道具であると切り捨てる仲章。
確かに正論なのですが、いきなりそのレベルを求めるのは酷であるのと共に、崇高な理念を美しく謳う根源となる感性を養ってこそ歌才は開花するもの。
実朝をただ「都文化のうわべに憧れ、朝廷の言いなりになるロボット」としてスポイルしたいのか、あるいは単にドラマの嫌なヤツ演出なのかは分かりませんが、フィクションながらとても残念に思いました(せっかく実朝が面白がってくれそうだったのに……)。
ただし後世に伝わる実朝の歌風を見ると、万葉集を思わせるのびのびとした作品が多く、幼少時に軒の雨だれを一晩中眺めていた感性が損なわれていなかったのだと嬉しくなります(そのエピソードは多分フィクションですが)。
時により 過ぐれば民の 嘆きなり
八大龍王 雨やめたまへ※実朝の歌集『金槐和歌集』より
【意訳】恵みの雨も、多すぎれば民の嘆きとなる。龍神様、そろそろ雨を止めてください
豊かな感性と民を想う君主の心が調和した代表作の一つで、当時はあまり評価が高くなかったものの、その優しさと政治的意欲が偲ばれます。
時に、知的でハンサムな仲章と何だかいい感じ?な実衣ですが、そやつはかつて愛息(という設定)の頼全(演:小林櫂人)を殺害した張本人。恐らく知らないのでしょう。
そもそも京都から派遣されてきた時点で警戒して然るべきところを、その脇の甘さが政子との差として浮き彫りになっています。
果たして真相を知った実衣がどんな顔になるのか(知らないまま済ませてもよさげですが、わざわざ描写した以上、張った伏線は回収して欲しいところ)……今から楽しみですね!