「七本槍」戦国武将・福島正則の悲運…忠義の深さゆえに改易に処された!?:3ページ目
罪状は幕府側の「口実」?
正則は広島城の他に、新たにもう一つ城を築城したことで、幕府からお咎めを受けました。
これが後を引いたのか、台風の被害を受けた広島城の修復を申請しても、2カ月経ってもなかなか許可を得ることができませんでした。
それで彼は、無許可のまま広島城の修繕を行います。これが武家諸法度に違反していると見なされたのです。
この違反について、正則は幕府に謝罪し、修繕部分を破却することで許されることになりました。
しかし破却に不足があると判断され、最終的に改易となります。
現在、この広島城の無断修復というのは、正則を改易処分にするための、幕府にとって都合のいい口実だったのではないかと言われています。
正則は、徳川方に付いた後も豊臣家への忠義を忘れない人物でした。それは徳川から見れば「いつ裏切るとも分からない」男だったとも言えます。そこで警戒した幕府が、力を抑えるために改易したのではないかということです。