「七本槍」戦国武将・福島正則の悲運…忠義の深さゆえに改易に処された!?:2ページ目
悲運の晩年
順風満帆に思われた正則でしたが、しかし1619年に改易に遭い、安芸と備後が没収されてしまいます。
この後彼は4万5000石の越後国魚沼に転封され、隠居して嫡男の福島忠勝に家督を譲りますが、その忠勝は早逝してしまいます。
正則は越後国魚沼の2万5000石を幕府に返上し、長野県高山村でその生涯を閉じました。
さて、正則はなぜ改易に遭ってしまったのでしょう。
その理由は「広島城を無断で修復してしまったから」と言われています。なぜ城主が自分の城を修復しただけで、領地を没収されてしまうのでしょうか。
その理由は、大阪の陣の後で幕府から発布された「一国一城令」で、これによって大名たちは一国に一つの城しか保有できなくなりました。さらに武家諸法度で新たに定められた決まりによって、城を修復するにも幕府の許可が必要になりました。
これに反したかどで、彼はお咎めを受けることになったのです。