後鳥羽上皇、ついに挙兵!北条義時の義兄弟・伊賀光季の壮絶な最期・前編【鎌倉殿の13人】:3ページ目
今宵限りのどんちゃん騒ぎ
「親を見捨てる卑怯者に成り下がっては、たとえ命を永らえても世の誹りは免れません。どうあっても、武家の男児として父上と生死を共にいたしまする」
泣きながら訴える光綱を抱きしめ、光季も泣きながら喜んだ。
「よう申した。それでこそ伊賀家の惣領に相応しい。では治部よ、寿お……もとい光綱に具足を着付けてやれ」
かくして初陣にして最期を飾る伊賀光綱の晴れ姿は、こんな具合。
・長絹(ちょうけん)の直垂(ひたたれ)小袖(こそで)
(しっかりと糊の効いた生地の直垂の中に小袖を着ている)
・萌葱匂(もえぎにおい)の小腹巻(こはらまき)
(萌葱色のグラデーション。下から上にかけて色が濃くなるのを匂という。逆は裾濃-すそご。腹巻は腹部に巻いて保護する鎧の一種で、肩を保護する大袖のないもの)
・箙(えびら)には染羽の矢を25筋
(箙は矢の携帯ケース、矢羽を染めた矢を25本。何色かは不明)
・重藤(しげどう)の弓
(弓の束を黒漆で塗り、上から藤を巻き固めたもの。大将などが持つ上等な弓)
想像するだけでもカッコいいですね。これだけでも、我が子と共に戦える、そして最期を共にできる光季の喜びようが目に浮かぶようです。
「……さて、この世の楽しみも今宵限り。思う存分楽しもうではないか!」
明日は決死の覚悟を前に、光季は馴染みの遊女や白拍子を呼んでどんちゃん騒ぎ。伊賀邸を訪れた人々はそりゃもう京都じゅうに響き渡る勢いで騒ぎ立てたとか。
現代なら「うるさい!いま何時だと思ってンだ!」と苦情が飛んできそうなものですが、その意図を知らぬ者は誰もいません。そこで都びとらは光季らを憐れんで、涙に袖を濡らしたと言います。
「もう金銀財宝も使い道がないから、あるだけ全部持っていけ!」
形見とばかりすべてばらまき、夜も白々明けてくると、次第に討伐の軍勢が近づいてきました。
※参考文献:
- 上田正昭ら監修『コンサイス日本人名辞典 第5版』三省堂、2008年12月
- 矢野太郎 編『国史叢書 承久記』国史研究会、1917年6月