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後鳥羽上皇、ついに挙兵!北条義時の義兄弟・伊賀光季の壮絶な最期・前編【鎌倉殿の13人】

後鳥羽上皇、ついに挙兵!北条義時の義兄弟・伊賀光季の壮絶な最期・前編【鎌倉殿の13人】:2ページ目

逃げるか?戦うか?光季の決断やいかに

一方、後鳥羽上皇のお召しを断ってしまった以上、討たれることが確実な伊賀光季たち。

「こんなバカげたことで討たれるのは無念にも程があります。今夜じゅうに京を脱して美濃・尾張まで駆け、すぐにでも鎌倉へ戻りましょう」

「東海道が無理なら北陸道から迂回するルートもあります。どうかお考え下され」

口々に訴える郎党たちを、光季は穏やかに諭します。

「それはできない相談だ。もし我が身惜しさに逃げ出せば、北条(義時)殿より京都守護をお任せいただいた信頼を裏切ることになってしまう。そもそも考えてみろ。上皇陛下が鎌倉を討つなどという計画を、思いつきで言い出すはずもない。となれば、鎌倉への道中は既に手の者が配されているはず。ここは踏みとどまって戦い、最期まで無実潔白を訴えるのだ」

そこまでの覚悟があるなら、もはや郎党から意見することもできず、夜が更けるにしたがって兵たちは一人また一人と逃げ出していきました。

結局残ったのは、贄田三郎(にえだ さぶろう)・贄田四郎(しろう)・贄田右近(うこん)・武志次郎(たけし じろう)・塩屋藤三郎(えんや とうさぶろう)・片切源太(かたぎり げんた)・大助(だいすけ。片切?)・又太郎(またたろう。片切?)・園平次郎(その へいじろう)・園弥次郎(やじろう。平次郎の子)・政所太郎(まんどころ たろう)・治部太郎(じぶ たろう)・熊王丸(くまおうまる)はじめ一騎当千の27名。その中に、光季の嫡男・寿王(じゅおう)がいました。

寿王は今年で14歳となったので、元服して伊賀光綱(みつつな)と改名。我が子には生き延びて家名を受け継いでもらいたい。そう考えて光季は、光綱に逃げるよう命じます。

「鎌倉にいる姉が千葉殿(千葉胤綱。千葉介常胤の曾孫)に嫁いでいるから、そこで保護してもらいなさい」

しかし寿王改め光綱は、頑として父の言いつけを断りました。

3ページ目 今宵限りのどんちゃん騒ぎ

 

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