理解しようとする姿勢が尊い…御家人の拙い訴えに耳を傾けた源実朝のエピソード【鎌倉殿の13人】
「報連相(報告・連絡・相談)は明瞭簡潔(ハッキリ分かりやすいこと)を心がくべし」
社会人になってそう教わり、日々心がけてきたつもりではいるものの、これがなかなか難しいもの。
「結局何が言いたいんだ?さっぱり分からん!」
勤めに出て間もないころ(もう20年ほども前)、我ながら下手くそな書類で頭をビシバシやられたのを、昨日のように覚えています。
まぁそれはさておき、伝える側が相手に分かりやすく工夫するのは当然としても、受け取る側も相手の意図を解ってあげようとする姿勢が大切ではないでしょうか。
今回はそんなお話し。鎌倉幕府の第3代将軍として活躍した源実朝(みなもとの さねとも)のエピソードを紹介したいと思います。
土屋三郎宗遠の書状
時は承元3年(1209年)6月13日、侍所別当の和田義盛(わだ よしもり)が実朝の元へ、一通の嘆願書を持ってきました。
「御所(実朝様)。土屋三郎(つちや さぶろう。土屋宗遠)がこれを……」
※土屋三郎宗遠は、頼朝挙兵以来の古参・土肥実平(どひ さねひら)の弟です。
実朝がこれを受け取ると、その書面にはこんなことが綴られています。
「それがしは亡き右大将(源頼朝)の代からずっと真面目に奉公して参りました。梶原家茂(かじわら いえもち)はかの謀叛人たる梶原景時(かげとき)の孫です。忠義者と謀叛人は比べようもありません。自ら武器を差し出したと言っても、どうして捕らわれなければならないのでしょうか。まったく不名誉なことです」
……意味がわかりません。きっと実朝はもちろん、これを取り次いだ義盛の頭上にはたくさんの「?」が飛び交ったことでしょう。
「……何があった?」
実朝が尋ねると、義盛がざっと事情を話します。
「何でも三郎のヤツ、かねがね梶原めと仲が悪かったようでして……」
「それでついカッとなって殺してしまった、と」
「へい。今は侍所に拘禁しております」
「なるほどな」
そこまで聞いた実朝は、文面の真意を読み解きました。