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仏の慈悲は、道理に迷える者へこそ…江戸時代の禅僧・盤珪永琢かく語りき

仏の慈悲は、道理に迷える者へこそ…江戸時代の禅僧・盤珪永琢かく語りき

昔から聖職者には高潔な人格が求められ、何か不祥事があると一般人よりも厳しく批判を浴びることが少なくありません。

しかし聖職者だって私たちと変わらぬ生身の人間。高潔だから聖職者になった者がいる一方で、少しでも高潔になりたいと聖職者を志した者だっているはずです。

今回は江戸時代に活躍した臨済宗の禅僧・盤珪永琢(ばんけい ようたく)を紹介。その教えは、現代に生きる私たちにとっても生きる支えとなるでしょう。

学問好きが高じて仏の道へ

盤珪永琢は元和8年(1622年)3月8日、儒学医である菅原道節(すがわら どうせつ)と野口氏の間に誕生しました。寛永9年(1632年)に父を喪い、母と兄に養育される中で学問を積みます。

ある時、儒学の経典『大学』を読んでいると、文中に「大学の道は、明徳を明らかにするにあり」と書いてあるのが気になりました。

「明徳というからには既に明らかな徳であるはず。それを明らかにするとはどういう意味ですか?」

この質問に母や兄はもちろん、どこのどんな師匠に聞いても納得のいく答えは返ってこなかったと言います。

「これを理解できねば、大学の道=本質を学びとることが出来ません。だからどうしても究明したいのです」

あんまりしつこく訊いて回ったのか、うんざりした儒学者の一人が

「そのようなむつかしきことは、よく禅僧が知っておるじゃほどに、禅僧へ行きてお問やれ」

明らかな徳を明らかにする……もはや禅問答の域に達しつつあった疑問を解決するべく、盤珪少年は随鴎寺(現:兵庫県赤穂市)に参禅。出家して雲甫全祥(うんぽ ぜんしょう)に弟子入りし、厳しい修行に臨んだのでした。

2ページ目 盗みがやめられない弟子と、盗みを許せない弟子たちへ

 

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