持てるすべてを駆使して戦え!武士道バイブル『葉隠』が伝える古武士の精神論:2ページ目
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問「肩の根元からバッサリ斬り落とされた時は、何とされますか?」
答「まだ口が残っているだろう。思い切り噛みしめれば、敵の首を十や十五くらいは食いちぎれるだろう」
とにかく生きている限りは、持てるすべてを駆使して戦ってこそ武士というもの。
「ま~た大木殿が繰り言を……」
言っていることは(いささか極端とは言え)もっともながら、あまりに毎回繰り返すものですから、若い藩士らも辟易していたかも知れませんね。
終わりに
四〇 大木前兵部勇気勧めの事 兵部組中参会の時、諸用済みてよりの咄に、「若き衆は随分心懸け、勇気を御嗜み候へ。勇気は心さへ附くれば成る事にて候。刀を打ち折れば手にて仕合ひ、手を切り落とさるれば肩節にてほぐり倒し、肩切り離さるれば口にて首の十や十五は喰ひ切り申すべく候。」と、毎度申され候由。
※『葉隠聞書』第七巻より
このエピソードを読んで、どこかで聞いたことがあると思ったら、佐賀出身の昭和軍人・牟田口廉也(むたぐち れんや)の演説でした。
……兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。……
むしろ牟田口氏が『葉隠』を元にしているのですが、精神論だけで戦さに勝てるなら苦労はしません。仮に勝てたと言うなら、精神以外の理由も必ずあるはずです。
戦いに勝利するために闘志が大切なのはもちろんですが、闘志だけではどうにもならないのもまた事実。
人の上に立つ者は、個々の闘志に依存するのではなく、むしろ皆の闘志と能力を最大限に引き出せる状況を整えることが責務ではないでしょうか。
※参考文献:
- 古川哲史ら校訂『葉隠 中』岩波文庫、2011年6月
- 古川哲史『葉隠の世界』思文閣、1993年12月
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