気を着け、前へならえ! 学校で行われる号令による「集団行動」のルーツは幕末期にあった:2ページ目
そこには兵の隊列の仕方と【号令「直レ」「休 メ」「気ヲ=着ケ」】が書かれており、これが号令が書かれた最初の文書であるとされています。
表記は〈付ケ→着ケ→著ケ〉と変遷しますが、号令による集団行動は、富国強兵の一貫として学校教育の場で用いられるようになります。
しかし終戦後は、アメリカのGHQにより学校体育指導要綱が定められます。それまでの「教練」「体操」「武道」の三分野からなる「体練科」は、「体育科」として改められました。
もちろんこれは軍国主義の習わしを一掃しようとしたもので、一時期は武道である柔道や剣道も禁止となりました。文部省も1946年(昭和21年)に「気をつけ」の号令を使用不可とします。
やがて復興がすすみ、徐々にそういった規制が解除されると、1965年(昭和40年)には文部省から「集団行動指導の手びき」が出され、「気をつけ」号令は復活します。その時に「気をつけ」は平仮名表記になりました。