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野心むき出し!女帝陛下の崩御に乗じて朝廷に謀叛した蝦夷の族長・宇漢迷公宇屈波宇

野心むき出し!女帝陛下の崩御に乗じて朝廷に謀叛した蝦夷の族長・宇漢迷公宇屈波宇

多くの日本人にとって、天皇陛下そして皇室は精神的支柱。いつまでも安泰であることを願わぬ日はないと言っていいでしょう。

しかし、残念ながらその玉体(ぎょくたい。宝玉の如く尊い天皇陛下のお身体)は人の身。いつかその命が尽きることは避けられません。

諸賢の中には昭和64年(1989年)1月7日、昭和天皇(しょうわてんのう。第124代)が崩御された時の悲しみをご記憶の方も多いのではないでしょうか。

そんな人心の乱れが天地にも波及するのか、社会不安が思わぬ事件を引き起こすことも歴史上少なくありませんでした。

今回は奈良時代に生きた蝦夷の族長・宇漢迷公宇屈波宇(うかんめのきみ うくはう)のエピソードを紹介したいと思います。

称徳天皇の崩御を機に……

宇漢迷公宇屈波宇(以下、宇屈波宇)は生年不詳、陸奥国糠部郡(ぬかのぶのこおり。青森・岩手県境一帯)を治めていた蝦夷の族長(公)と言われています。

宇漢迷(うかんめ)は糠部(ぬかのぶ)の訛りとされ、つまり「糠部(蝦夷)の族長であるウクハウ(個人名)」の意。漢字は恐らく当て字で、ウクハウの意味も興味深いですね。

朝廷へ服属して陸奥国府に仕え、桃生城(ものうじょう。宮城県石巻市)を拠点としていました。

そんな宇屈波宇ですが、神護景雲4年(770年。後に改元して宝亀元年)8月10日、第48代・称徳天皇(しょうとくてんのう。女帝)の崩御(8月4日)を待っていたかのように陸奥国府を去ってしまいます。

「一体、どうした事だろう……?」

天皇陛下が崩御された混乱に乗じて兵を起こそうとでもしているのだろうか……ただちに戻るよう国府から使者を派遣したところ、宇屈波宇の返事は案の定

「同族を率いて必ずや城柵を侵す(攻め込む)」

という謀叛の野心をむき出しにしたものでした。今まで称徳天皇に何か虐げられでもしたのでしょうか。

しかし、このまま攻め込まれては困ります。陸奥国府は朝廷にどう対応するべきか相談し、近衛中将と相模守を兼任する道嶋嶋足(みちしまの しまたり)が派遣されました。

2ページ目 決裂?和解?説得の結果は……

 

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