野心むき出し!女帝陛下の崩御に乗じて朝廷に謀叛した蝦夷の族長・宇漢迷公宇屈波宇:2ページ目
決裂?和解?説得の結果は……
道嶋嶋足は陸奥国牡鹿郡(宮城県女川町、石巻市南部)の出身で、武勇に優れ人望にも厚い歴戦の名将です。
「宇漢迷公の真意を確かめ、叛意あらば説得に努めよ。最悪、殺しても構わぬ」
「ははあ」
かくして道嶋嶋足は宇屈波宇と会見しましたが、話し合いの内容や結果などは記録が残されていません。
単に記録が散逸してしまった可能性が高い一方で、記録に残せないようなやりとりがあった可能性も考えられます。
道嶋嶋足がその後も活動しているのに対して、宇屈波宇の姿は見当たらない……ということは、交渉が決裂して殺されでもしたのでしょうか。
この4年後、宝亀5年(774年)に海道蝦夷(かいどうえみし。北上川下流域から三陸沿岸にかけて住んでいた蝦夷)たちが桃生城を襲撃する事件が発生。殺された宇屈波宇の仇討ちであった可能性も否定できません。
ただし4年間と期間が空いているため、宇屈波宇の死は直接の原因ではなく、怨みを募らせる一因程度であったとも考えられます。
また、この4年間において蝦夷たちが騒然とした(謀叛を疑われるような大規模行動を企図した)記録もありません。そのため、宇屈波宇が大人しく矛を収めて円満解決したのではないでしょうか。
「中将ドノが出て来られちゃあ、勝ち目はありやせん。仕方ねぇ……ここは折れまさぁ」
「……賢明だ」
けっきょく宇屈波宇の怒りが収まることはなく、陸奥国府には戻らなかったようですが、謀叛は未然に防がれたようです。