どんな戦いでも一番槍!その猛将ぶりから鬼日向と呼ばれた武将・水野勝成に迫る:2ページ目
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勘当後は各地を放浪とする生活を
父から勘当された勝成は、豊臣秀吉(のちに秀吉の怒りも買ってしまうことに……)、仙谷秀久、佐々成政、小西行長、加藤清正、黒田長政などの主人に仕え、様々な戦いに参加します。
約14~15年の放浪生活を経て、いとこである家康の仲介で父と和解。関ケ原の戦いのあと、備後国へと転封となり福山城を建設します。寺社仏閣を修理したり、領民への飲み水を確保したりと、善政を敷きました。
そんな水野勝成に付いたあだ名は……
数々の戦いで見せたその猛将ぶりから、水野勝成は「鬼日向」と呼ばれるように。さらに「倫魁不羈(りんかいふき)」(あまりにもスゴすぎて誰にも縛りつけることはできないという意味)と称されたこともあるようです。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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