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東国一の美少女「駒姫」豊臣家に振り回され、わずか15歳で絶命した悲劇のエピソード

東国一の美少女「駒姫」豊臣家に振り回され、わずか15歳で絶命した悲劇のエピソード:2ページ目

秀吉の独裁

駒姫の処刑を知った義光は、「駒姫は秀次と会ってすらいないのに、こんな馬鹿なことがあってたまるか」と激怒し、駒姫の助命嘆願に奔走します。義光の懸命な働きがあり、各方面から処刑反対の声が続出。

これらの勢力を無視できなくなった秀吉は、処刑当日に「処刑を取りやめ、鎌倉の尼にでもせい」と言ったそうです。

遠すぎた100m

秀吉の命を受けた早馬が、駒姫の処刑場へと走ります。しかし、処刑場まであと100mというところで、駒姫は処刑されてしまいました。

享年15歳と言う若さでこの世を去った駒姫の遺体は遺族に引き渡されることなく、処刑された他の側室や侍女と同じ穴に埋められ「畜生墓」と言う名で雑に墓石が建てられたそうです。

母の自殺

駒姫の死後から2週間には駒姫の母も亡くなっていることから、諸説ありますが、駒姫のあとを追って自殺したのではないかと言われています。

愛していた娘と嫁を同時に失った義光は、のちの関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍につき、豊臣家と戦いました。

 

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