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【鎌倉殿の13人】佳久創が熱演する武蔵坊弁慶、史実の登場シーンはたった2か所だけ!?

【鎌倉殿の13人】佳久創が熱演する武蔵坊弁慶、史実の登場シーンはたった2か所だけ!?

義経「武蔵坊、派手に行け」
弁慶「心得た!」

※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第12回「亀の前事件」より

源平合戦のヒーロー・源義経(演:菅田将暉)に仕える第一の家来と言えば、多くの方が名を挙げるであろう武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい)

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では佳久創さんが熱演、これからの暴れっぷりに期待が寄せられています。

弁慶と言えば五条大橋での出逢いや逃亡中の大芝居(勧進帳)、そして義経を守り抜いての立ち往生など、いかにも豪傑らしいエピソード盛りだくさん。これは佳久創さんも演じ甲斐がありそうですね。

……しかし、これらは南北朝~室町時代に成立した軍記物語『義経記(ぎけいき。作者不詳)』などによる創作で、一応の史実である『吾妻鏡』にはたった2か所しか登場していません。

いったい、どんなエピソードが書かれているのでしょうか。

義経の都落ち

『吾妻鏡』で弁慶が初登場するのはこちらの2か所。まずは文治元年(1185年)11月3日。

前備前守行家〔櫻威甲〕伊豫守義經〔赤地錦直垂。萌黄威甲〕等赴西海。先進使者於仙洞。申云。爲遁鎌倉譴責。零落鎭西。最後雖可參拝。行粧異躰之間。已以首途云々。前中將時實。侍從良成〔義經同母弟。一條大藏卿長成男〕伊豆右衛門尉有綱。堀弥太郎景光。佐藤四郎兵衛尉忠信。伊勢三郎能盛。片岡八郎弘經。弁慶法師已下相從。彼此之勢二百騎歟云々。

※『吾妻鏡』文治元年(1185年)11月3日条

追われる身となった源行家(演:杉本哲太)と義経は九州へ逃げる前に、後白河法皇(演:西田敏行)に使者を遣わしました。

「頼朝の追及を逃れるため、これより九州へと落ち延びます、最後にご挨拶したかったのですが、武装してのお目通りは不敬であるため遠慮させていただきました」と言づてしたようです。

義経に同行する主要メンバーは以下の通り。

平時実(たいらの ときざね。義経の義兄)
一条良成(いちじょう よしなり。義経の同母弟)
源有綱(みなもとの ありつな。義経の娘婿)
堀景光(ほり かげみつ)
佐藤忠信(さとう ただのぶ)
伊勢能盛(いせ よしもり)
片岡弘経(かたおか ひろつね)

そして弁慶法師。この時点では200騎ほどの軍勢を率いていたのですが、11月5日になると頼朝の意を受けた多田行綱(ただ ゆきつな)らに攻められ、義経の軍勢はたちまち崩壊。
明けて11月6日、ようやく出航できるかと思ったら……

行家。義經於大物濱乘船之刻。疾風俄起而逆浪覆船之間。慮外止渡海之儀。伴類分散。相從豫州之輩纔四人。所謂伊豆右衛門尉。堀弥太郎。武藏房弁慶并妾女〔字靜〕一人也。今夜一宿于天王寺邊。自此所逐電云々。今日。可尋進件兩人之旨。被下 院宣於諸國云々。

※『吾妻鏡』文治元年(1185年)11月6日条

行家と義経は大物浜(だいもつのはま)から出航しようと思いましたが、あまりの逆風に船出を諦め、それぞれ別行動をとることに。

ここで義経に従ったのは源有綱・堀景光・弁慶そして静御前(しずかごぜん)という名の愛妾のみ。5人は天王寺に一泊し、そのまま行方をくらましたのでした。

この日、頼朝の圧力に屈した後白河法皇は行家と義経を捕らえるよう院宣を全国へ発したということです。

……弁慶の登場は、この2か所のみとなります。

どのような最期を迎えたのかはもちろんのこと、天王寺から行方をくらました義経一行につき従ったのか否かさえ明らかではありません。

そもそも弁慶が何者で、いつどのように義経と出会い、仕えるようになったのかも不明です。

前後に何の記述もないため、極端な話し「義経が都落ちの際にたまたまいたのでカウントされ、天王寺を出てすぐ愛想を尽かして逃げ出した」可能性さえあります。

それがどうして、今日知られるような豪傑として『義経記』などに描かれたのでしょうか。

2ページ目 権力者への反抗心ゆえ?義経を守ろうとした悪僧たち

 

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