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【秘話 鎌倉殿の13人】源頼朝最後の男系男子・貞暁(じょうぎょう)の波乱に満ちた人生と北条政子との因縁:その1

【秘話 鎌倉殿の13人】源頼朝最後の男系男子・貞暁(じょうぎょう)の波乱に満ちた人生と北条政子との因縁:その1

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2022/04/07

貞暁の誕生により激怒する政子

1186(文治2)年3月18日、大進局は長門景遠宅(鎌倉市由比ガ浜近辺か)で貞暁[幼名は不詳]を出産しました。頼朝にとっては、千寿丸[母伊藤祐親の娘八重姫]・頼家[母北条政子]に続いて3人目の男子の誕生です。[亀の前との子は不明なのでここでは数にいれない]しかし、生まれた子が男児であるということが、政子のさらなる逆鱗に触れたのです。

政子:大進局が産んだ赤子は男子とな。はなはだ不快じゃ!

男児の出産を知らされた政子は怒り心頭に達します。怖れた頼朝は出産の儀式を全て省略させました。それでも政子の怒りはおさまらなかったのです。

政子:ええい、不快じゃ、不快じゃ!景遠を呼べ!

政子の怨みは日を追うごとに激しくなり、大進局を匿った長門景遠を激しくなじったとされます。

頼朝:このままでは大進局と赤子の身が危うい。景遠よ、二人を連れて身を隠すのじゃ。その間に、余が政子をなんとかするゆえ。

頼朝は、大進局のために伊勢国三カ山に所領を用意します。そして、母子を鎌倉から逃がす準備をしつつ、政子の説得を試みました。

頼朝:政子よ、そう怒るな。余の跡継ぎは頼家しかおらぬ。かの赤子は、出家させるつもりじゃ。あの者が跡継ぎになるなど余が認めるはずかない。

貞暁の上洛と仁和寺での出家

 

大進局と貞暁は、しばらくは世間から隠れるように暮らしました。時は過ぎ、1192(建久3)年になると政子は3回目の出産を迎えます。

この年、頼朝は朝廷より征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉幕府を開府しました。政子にとって頼朝の将軍就任は、全ての武家の棟梁たる頼朝の後嗣は北条の血筋のみという思いがさらに増したのは間違いないでしょう。

そして頼朝の権力増大は、かえって貞暁の身に危機を及ぼしたことになります。順調に成長する頼家・まもなく誕生する子がいるにもかかわらず、政子の大進局・貞暁母子に対する怒りと警戒心は増すばかりで、一向に収まることはなかったのです。

1192(建久3)年5月19日、頼朝はついに決断を下しました。それは、大進局と7歳になった貞暁を上洛させ、彼を出家させることでした。それほどまでに貞暁の身に危険が差し迫っていたことが推測されます。

頼朝:貞暁よ、速やかに京の都に出立し、仏道に励むのだ。別れに太刀を授けよう。これが、お前の父がこの頼朝という証であると心得よ。

頼朝は貞暁上洛前日の夜、密かに母子のもとを訪ねて太刀一振りを与えたといいます。貞暁と大進局は、長門景国らわずかな供とともに京へ旅立ちました。

[その1]はここまで。[その2]では、京都仁和寺で懸命に仏道修行に励む貞暁と、骨肉の争いにより次々と消えていく源氏一門。そして貞暁の後援者たちの死についてお話ししましょう。

【その2】 はこちらから

 

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