山はあるけど山梨(やまなし)県……昔そんなジョークを教師から聞きましたが、山梨県は山に囲まれているため、出入りするには必ず山を越えなければなりません。
言うまでもなく、山を越えるのは今も昔も一苦労。それでも山を越えて行き交うパワフルな人々が多かったため、かつて山梨県は甲斐(かい≒交い)国と呼ばれました(※諸説あり)。
今回は戦国時代に「山を越えた」人々のエピソードを、武士道バイブルとして知られる『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より紹介。
戦国時代&甲斐国と言えば……そう、甲斐の虎と恐れられた武田信玄(たけだ しんげん)が登場します。
「山を越えよ」申し渡された者たち
かつて武田家では、罪人に国外追放の判決を下す時に「山を越えよ」と申し渡したと言います。
国外へ出るには山を越えねばならないからですが、追放される中には人望に厚い者もいたのでしょう。
仲の良い者が「名残惜しいから国境まで見送り、そこで送別会をやろう」などと言い出す始末。
当局にとって不都合だから追放するのに、その者を惜しむ行為は主君の意にそぐいません。
「よいか、今後は追放した罪人の見送りを禁ずる。背く者は曲事(くせごと)である」
曲事とは道理に合わぬ、曲がったこと即ち「けしからん」という意味です。
けしからんのは分かるのですが、それではなぜ具体的に「こういう刑罰を科す」と言わないのでしょうか。
まぁ、罰せられないのなら別にいいか……とばかり一部の者たちは、相変わらず追放者への送別会を続けていました。