戦国時代最強の鉄砲傭兵集団「雑賀衆」伝説の武勇と悲劇の結末
最強のガンスリンガーたち
皆さんは「雑賀衆(さいかしゅう)」はご存じでしょうか?
戦国時代、紀伊(現在の和歌山)に存在していた地侍集団で、「雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける」などと言われた、伝説の鉄砲使いの傭兵集団です。
戦国時代は「越後の上杉」や「甲斐の武田」のように、その地方を治める大きな勢力が存在していることがほとんどです。
しかし、紀伊にはそのように地方の実権を握っている唯一の勢力というものはありませんでした。
というのも、当時の紀伊は神道の熊野三山や真言宗の高野山などが関係した寺社勢力が強く、地域ごとに点在する集団がそれぞれ大きな力を持っていたからです。
雑賀衆も、この寺社勢力の一つでした。
さて、少し知っている人なら、雑賀衆といえば鉄砲を思い浮かべる人も多いでしょう。
紀伊には「紀の川」という海に繋がった大きな川があり、海運が発達していました。
紀伊の雑賀衆と、そのお隣の根来衆(ねごろしゅう)という勢力は、種子島や沖縄、鹿児島、土佐、さらに中国とも交易していたと言われており、種子島に伝来した鉄砲もかなり早い段階で伝わっています。
そしてこれを元に、根来衆の鍛冶屋が鉄砲の試作を完成させ、雑賀衆の職人たちの手によって量産に成功するのです。
こうして、雑賀衆は鉄砲を使った傭兵集団として評判になり、全国各地の戦いで招集されることになります。
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