「鎌倉殿の13人」頼朝の弟・義円が挑んだ墨俣川の合戦…第11回放送「許されざる嘘」予習:2ページ目
頼朝の挙兵に呼応、寺を飛び出して源行家と合流
しかし治承4年(1180年)、伊豆国に流されていた異母兄の頼朝が平家討伐の兵を挙げると、円成は居てもたってもいられなくなります。
自分もやはり武士の子。亡父の仇である平家討伐に一旗上げたい……還俗(げんぞく。僧侶をやめること)した円成は名前を源義円と改めました。
「聞けば奥州の牛若も兄者の元へ馳せ参じたとか。我も後れてはおれぬ!」
早々に園城寺を発った義円はまっすぐ鎌倉へ駆けつけたとも、あるいは別行動で挙兵したとの説もあります。
ちょうどそのころ、叔父の源行家(演:杉本哲太)が鎌倉の頼朝とは別に兵を挙げており、義円はこれに合流しました。
「おぉ乙若、よう参った。そなたがおれば百人力じゃ!」
「ありがたきお言葉。ここで手柄を立てれば、鎌倉の兄上にお喜び下さいましょう!」
「……ケッ」
「え。叔父上?」
「あいや……何でもない」
実は行家、かねて頼朝と反目していたのです。
(あやつめ。流人の分際で嫡流を気取り、この叔父を家人の如く扱いおって……先に上洛を果たして、どっちが源氏の棟梁に相応しいかを見せつけてくれるわ!)
そのために義円の「頼朝の弟」というブランドを、広告塔として利用する肚づもりなのでした。
「叔父上、ここは一刻も早く上洛して平家を討ち滅ぼしましょうぞ!」
「ははは、若いのぅ。まぁ待て、しばし兵を集めるのじゃ」
かくして尾張国(現:愛知県西部)に滞在中、義円は同国愛知郡の郡司・慶範(けいはん)禅師の娘を娶りました。
「源氏の御曹司を婿にお迎えできましたこと、まこと光栄にございまする」
「うむ。共に合力して平家を討ち滅ぼし、鎌倉殿の天下をお支え申そうぞ!」
「ははあ……」
(……ケッ!)
頼朝たちが富士川の合戦(治承4・1180年10月20日)で平家の討伐軍を撃退して以来、源氏の人気はうなぎ登り。続々と兵が参集し、やがて数千騎とも言われる大軍に成長します。
「さて、時は満ちたな」
年も明けた治承5年(1181年)3月、行家と義円の軍勢はいよいよ出陣。
再び源氏討伐にやってきた平重衡(たいらの しげひら)率いる軍勢と、墨俣川(現:長良川)を挟んで対峙したのでした。