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「鎌倉殿の13人」義経の苦いデビュー戦、大庭景親の最期、史実との違いほか第10回「根拠なき自信」振り返り

「鎌倉殿の13人」義経の苦いデビュー戦、大庭景親の最期、史実との違いほか第10回「根拠なき自信」振り返り

大庭景親(演:國村隼)の最期、史実との違い

広常をして「どちらが敗軍の将か、わからんな」と言わせしめた堂々たる態度。さすがは東国の御後見。実に立派な最期でした。

何なら泣きながら命乞いをする山内首藤経俊(演:山口馬木也)のみじめな態度は、景親を引き立てるためにあえてしてやったのではないかと思うほど。

(史実の経俊はその後も鎌倉の御家人として活動しますが、大河ドラマ的にはここでフェイドアウトでしょうか)

今まさに斬首されんとする時に笑い声を上げて見せた胆力から、平素の覚悟が察せられます。

ちなみに『吾妻鏡』によると、景親が降伏したのは治承4年(1180年)10月23日。その身柄はまず広常に預けられ、のち兄・大庭景義(かげよし。未登場)に引き渡されました。

「弟の助命嘆願をするか?」

頼朝の問いかけに対し、景義は助命嘆願をせず、命じられるまま弟の首を刎ねたと言います。

ここで助命嘆願をすれば、後に一族に累が及ばぬとも限らない……景義の胸中は複雑だったことでしょう(もともと仲が悪かった説もあり)。

そして10月26日、景親の首級は固瀬河(境川。現:神奈川県藤沢市)で梟首(きょうしゅ。さらし首)にされたのでした。

時政「一つ間違えば、俺たちの首があそこにかけられてたんだな」

義澄「悪い男ではなかった……」

逆らった者は決して許さない……そんな頼朝の意思表明を前に、義澄は舅である伊東祐親(演:浅野和之)の身を案じるのですが……。

3ページ目 実衣「得体の知れない人が、どんどん増えてく」

 

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