悪行三昧の結果、餓死者や身売りが続出!庄内藩・酒井家の厄病神がもたらすお家騒動【後編】:2ページ目
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忠重の最期
しかし、酒井忠重という人物はやはりどこか人格的に問題があったのでしょう。その後の1665(寛文5)年には、自分の娘の婚儀を巡って相手と論争して騒ぎを起こし、おそらく日ごろの素行もよくなかったのか、評判が将軍にまで及んだことから改易処分を受けます。
結局、彼は領地を召し上げられ、旗本の身分も失うことになりました。その後は下総国市川村(現在の市川市)に隠棲しましたが、1666(寛文6)年9月、夜盗に襲われて非業の死を遂げています。
この事件の下手人は、庄内藩からの刺客だったのではないかとも言われているようです。ここまでの所業を見れば、そうだとしても不思議はありませんね。
江戸時代は200年以上続いた泰平の世と言われますが、その初期はまだ戦国時代の気風が残っていたためか、「統治」についてはかなり粗雑な面がありました。
例えば江戸時代を代表する暗君親子である松倉重政・勝家の悪政が原因で島原の乱が起きたことは有名ですし、由井正雪の乱も起きています。
酒井重政のような人物の所業がまかり通ったのも、「天下泰平」への過渡期ゆえだったのでしょう。
参考資料
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