浮世絵師・月岡芳年の名作「月百姿 朝野川晴雪月 孝女ちか子」の裏に隠れた悲劇的な物語の結末【後編】:2ページ目
銭屋五兵衛、獄中に死す
五兵衛は『毒を流すなど全く見に覚えがない』と主張を続けます。
藩医も湖埋め立て工事が魚が死ぬ原因とは断定できないと報告しましたが、結局、五兵衛は獄中での厳しい状況に耐えられず80歳で獄死してしまいます。
五兵衛だけでなく一族郎党が全て有罪とされ処刑者の総数は50人に達しました。
更に家財没収と家名断絶が申し渡されました。前田家の担当者の試算によれば家財没収の総額は20万両(現代の貨幣価値で100億円)にのぼり、これを没収したことにより加賀藩の財政悪化はひと息付きついたということです。
酷い話ですね。
千賀・百日駆込訴
そこで最初の『月百姿 朝野川晴雪月 孝女ちか子』の話に戻ります。
祖父・銭屋五兵衛含め一族のほとんどが投獄された後、加賀藩にも多少の情けか後ろめたさがあったのか、千賀は罪を問われずに済んだようです。
千賀は無実を信じ、高齢の祖父や病気がちな父親・喜太郎の身代わりとして牢に入ることを願い出ます。
「百日駆込訴」といって、直接公事場へ早朝に顔も髪も洗わず素足で百日の間、数里の道を駆けて懇願したといいます。
けれども役人たちは、乱暴に彼女を門外に突き放し取り合おうとはしませんでした。
しかし、一日も休むことなく神仏の加護を深く念じた彼女の孝行心が世間の同情を買い、藩主を動かして、父の喜太郎・叔父の佐八郎は釈放されることになったのです。
ところが、千賀は「百日駆込訴」の疲れから病となり、26歳の若さで亡くなってしまうのです。
つまり千賀(ちか子)は自殺した訳ではないのです。
するとこの絵が描いたものは何でしょうか。“自分が身代わりになる”という強い祈りの現れでしょうか。