バカ者!父親から枕を投げつけられた平安貴族・大中臣能宣、いったい何をやらかした?:2ページ目
バカ者!父親から枕を投げつけられる
とまぁそんな和歌界のエリートだった能宣でしたが、ある年明けのこと。
敦実親王(あつみしんのう。第59代・宇多天皇の皇子)が開いた子日(ねのひ)の祝いで、能宣はこんな歌を詠みました。
千歳(ちとせ)まで 限れる松も 今日よりは
君にひかれて 萬代(よろづよ)や経む【意訳】松の樹は千年の寿命と言いますが、親王殿下の徳にあやかって一万年は生きることでしょう。
いやはやまったく新年に相応しい、見事な歌だ……浴びるような賞賛を土産に帰宅した能宣は、父にそのことを話しました。
「ふむ。千歳まで……萬代を経む……」
しかし父は難しい顔で何度も歌を詠み返し、いきなり能宣を叱りつけます。
「バカモノ!親王殿下に対してここまでの歌を詠んでしまったら、今上陛下の前でどんな歌を詠めばよいのだ!」
そばにあった枕をつかんで投げつけ、能宣は慌てて逃げ出したということです。
終わりに
大中臣朝臣能宣。祭主頼基子也。世善歌。至能宣最著名。與坂上望城・源順・紀時文・清原元輔。撰浚撰和歌集。世稱梨壷五歌仙。進爲正四位下神祇大副祭主。正暦二年卒年七十一。能宣嘗赴敦實親王子日宴作歌。深自負其巧。以告父頼基。頼基吟誦数四。忽作色勵聲曰。他日若得昇殿。侍至尊子日宴。則将何詞頌之。乃擧枕擲之。能宣走而退。
※菊池容斎『前賢故実』巻第五より
せっかく素晴らしい歌を詠んだのに、なぜ能宣は怒られたのでしょうか。
親王殿下に対して最上級の賛辞を贈ってしまったら、いつか天皇陛下のお召しにあずかった時、それと同等以下の賛辞しか贈れなくなってしまいます。
千歳の松が萬代を経るというなら、次は億でも兆でも……とインフレさせればいい訳ではなかったようです。
ただ才気に任せればよいのではなく、何事も時宜になかった加減を……という教訓とも解釈できるものの、若いうちから中庸ありきでは人生つまりません。
他にもたくさん挑戦と失敗を繰り返したからこそ、後世三十六歌仙に数えられるほどの才能を開花できたのでしょう。現代の私たちも見習いたいものですね。
※参考文献:
- 菊池容斎『前賢故実 巻第五』雲水無尽庵、1868年