子供含む一族44名が死罪…江戸時代のお家騒動「野村騒動」恐ろしい粛清の裏には嫉妬が!?:2ページ目
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一転、一族死罪となった野村
野村は優れた人物でしたが、宝永7年(1710年)彼が江戸に向かい留守にしていたときに、公金横領や農民搾取、豪華な私生活、一族親族の登用などの嫌疑の訴状が家老らの連名で提出され、野村は糾弾されることに。
野村はそのほとんどに弁明していきますが、たったひとつ、会計に関する些細なことで間違いがあり、それを有罪とされ、彼は死罪となります。そして処罰の対象は彼だけでなく、これに関わったとして一族44名が死罪、役人など370人あまり(一説には570人ともいわれます)も死刑や追放、罷免となりました。
この彼の一族の中には2歳から6歳の幼児12名(養子も含む)もいたということですから、その厳しさがよくわかりますね。このような厳しい処罰の明確な理由はわかっていませんが、野村の急進的な改革に反感を覚える者や、彼の異例の大出世に嫉妬した者が少なくはなかったことも理由として考えられています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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