抗議の手段は「切腹」!加賀藩主・前田綱紀の娘・節姫(せつひめ)の壮絶すぎる最期

雲川ゆず

みなさんは、「抗議」と聞いてどんなイメージを持つでしょうか?さらには、どんな手段を思い浮かべるでしょうか?

街でデモを行ったりというのはある程度一般的かもしれませんが、なかには食べることを拒否して抗議の意を示す、ハンガーストライキなどもあります。

日本の歴史上にも、壮絶な抗議の手段を取ったとある女性がいました。その名も、節姫。節子(せつこ)と呼ばれることもありますが、この記事では節姫で統一して記載します。

今回はそんな彼女について詳しくご紹介したいと思います!

節姫とは?

節姫とは、「加賀百万石」で有名な加賀藩前田家の女性です。父は加賀藩主であった前田綱紀(まえだつなのり)で、彼の次女として、彼の側室・慈雲院とのあいだに1680年に生まれました。

ちなみに、父の前田綱紀は江戸時代前期の名君の一人と言われることもあるほどの人物。

彼は80年にもわたって藩を治めました。節姫は安芸国広島の藩主であった浅野吉長(あさのよしなが)に嫁ぎます。

浅野吉長は「江戸七賢人」の一人にも数えられるほどの人物でしたが、結果として、節姫は彼に抗議するために自害します。

3ページ目 節姫はどうして自害に至ったのか?

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