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こんな首相はもう現れまい…「ダルマさん」こと高橋是清の数奇かつ波乱に富みすぎる生涯

こんな首相はもう現れまい…「ダルマさん」こと高橋是清の数奇かつ波乱に富みすぎる生涯

時代を先駆けていた高橋

彼は総理大臣も経験しています。しかし政治家としては、総理大臣時代よりも大蔵大臣時代の方が素晴らしい活躍ぶりだったと言えます。実際彼の手腕は誰もが認めるところで、大蔵大臣は7回も経験していました。

高橋のおかげで、日本は想像以上のスピードで昭和金融恐慌を沈静化させ、そして世界恐慌期のデフレ脱却を果たすことができたのです。この頃、彼はまさに日本経済の「守護神」的存在でした。

しかしある意味で、彼は時代の先を行き過ぎていた感がありました。当時の世界では、現在ほど政治と経済の結びつきが重要視されていなかったのです。

特に日本は、五・一五事件以降はまっとうな政党政治が中断したままで、軍および軍事的な政略によって政治が動かされることも多くありました。経済の重要性が世界的にきちんと認識されていくまでには、戦後の池田勇人首相の登場をまつ必要があったのです。

そんな中で高橋は、世界恐慌からのデフレを脱却した直後に、軍事費の増大にストップをかけようとします。これが軍部の怒りを呼び起こし、二・二六事件で「暗殺」という悲劇的な結末を迎えたのでした。

高橋是清という人物は、写真で見るといかにも温厚そうな福々しい風貌で、「ダルマさん」というあだ名で人々から親しまれていた庶民派の人だったと言います。しかしアメリカでの奴隷生活を始め、その経歴と功績は実に華々しく、最初から最後まで実にドラマティックな人生を送ったのでした。

参考資料
・株式会社SOJIRO『奴隷から首相へ 日本経済を救った天才、高橋是清』2020年

 

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