評判最悪のダメ将軍…だったのか?室町幕府8代将軍・足利義政の真意と実像は:3ページ目
後世の評価は正当か
それにしても、このようにざっと見ただけでも、義政がやる気を失うのも当然という気がします。幼い頃に兄の代わりに将軍の座に引っぱり出され、実際には周囲の大人たちが連立政権を組んで政治を行っている。で、自分が大人になったのでちゃんとやろうとしても、誰も言うことを聞いてくれない……。
だからさっさと将軍職を辞したかったのに、今度は自分の跡継ぎ問題でゴタゴタが発生し、そこに有力大名が勝手に乗っかって自分たちの家督争いが原因の喧嘩を始めるのです。「もう勝手にしろ」と言いたくなるのも分かる気がします。
室町幕府が滅んだのは彼の責任ではないものの、彼の代で極端に足利家が衰退していったのは事実です。トップが無気力になると組織も衰退するというのはひとつの歴史のパターンで、源実朝もそういうところがありました。また北条家最後の得宗も、闘犬や田楽、仏画など趣味の世界に没頭し、鎌倉幕府の滅亡を招いています。
また、毛並みも頭もいいのに優柔不断な上にムラ気があり、咄嗟の状況判断が下手という部分は、後年の近衛文麿と似ているという論者もいます。
確かに、応仁の乱が拡大し長期化した原因の一つが義政にあるのは間違いありません。しかし守護大名の連合政権という室町幕府の体制では、本来はよほどのカリスマ性や統率力がなければトップの仕事はできないのです。そこで無理をすれば暗殺されるのが関の山です。
そういう意味では、足利義政はもう少し突っ込んだ、正当な人物評価がなされてもいい人物だと言えます。
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参考資料
・ドナルド・キーン(著)角地幸男(翻訳)『足利義政と銀閣寺』2008年・中公文庫
・呉座勇一『応仁の乱-戦国時代を生んだ大乱』2016年・中公新書