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図々しすぎる!「ちょっと」で20年も居候、源頼朝の挙兵を待ち続けた佐々木一族のエピソード

図々しすぎる!「ちょっと」で20年も居候、源頼朝の挙兵を待ち続けた佐々木一族のエピソード:3ページ目

恩を仇で返す!?敵方に奉公する息子たち

しかも4人の息子たち、佐々木定綱(さだつな)、佐々木経高(つねたか)、佐々木盛綱(もりつな)、佐々木高綱(たかつな)のいわゆる佐々木四兄弟は、当時伊豆国で流人暮らしをしていた源頼朝(よりとも)公の元へせっせと通勤していたと言うではありませんか。

平家方の御家人である渋谷重国に飯を食わせてもらいながら、平家当局によって罰せられた源氏の流人に奉公する子供たち。

「ちったぁ父親の立場も考えてくれよ!」と言いたくなりそうなものですが、その父親からしてちょっと20年ばかり居候しているご身分ですから、あまり強くは言えません。

後に、同じく相模国に勢力を張る平家方の大庭景親(おおば かげちか)から

「オイ佐々木の。佐殿(すけどの。頼朝公の通称)の挙兵計画が平家当局にバレそうだぞ。伊豆に出入りしている息子たちに気をつけさせろ」

的なことを言われてしまっているあたり、日ごろよほど敵も味方もナァナァでやって来たかが察せられます。

よくも悪くも、実にアバウトな時代だったようですね(流石に20年の居候という事例はそうそうなかったでしょうが……)。

※参考文献:

  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
 

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