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図々しすぎる!「ちょっと」で20年も居候、源頼朝の挙兵を待ち続けた佐々木一族のエピソード

図々しすぎる!「ちょっと」で20年も居候、源頼朝の挙兵を待ち続けた佐々木一族のエピソード

ちょっと寄ってけ20年!?

源氏累代の家人として保元・平次の乱で活躍した佐々木秀義(ささき ひでよし)は主君・源義朝(みなもとの よしとも)が敗死した際、所領の近江国蒲生郡佐々木荘(現:滋賀県近江八幡市)を追われました。

「奥州(現:東北地方)まで逃げ延びれば、平家の追手も来られまい……」

遠路はるばる逃げる道中、相模国高座郡渋谷荘(現:神奈川県大和市)へたどり着くと、そこの荘司(荘園の領主)である渋谷重国(しぶや しげくに)が秀義一家を迎えてくれます。

「まぁ、先の戦さ(平治の乱)では源平の敵味方であったが、窮鳥の懐に入(い)るを射られぬゆえ……」

けっきょく容(い)るのか容(い)られぬのかどっちなんだ……というダジャレはさておき、いざ酒など酌み交わしてみると、両者アッサリ意気投合。

「どうせ急ぐ旅でもあるまいし、たとい追手が来ても当家で匿ってやるから、もう少しゆっくりして行ったらどうか……」

立場の弱い秀義一家とすれば、せっかくの好意を断って敵に回す訳にも行かず、一晩もう一晩と連泊を重ねるうち、気づけば20年の歳月が流れていたそうです。居候する方もさせる方も尋常の神経ではありません。

20日じゃなくて20週、20カ月でも十分長いですが、泊まりも泊まったり20年。生まれた子供が成人式を迎えてしまうほどの時間、実際に秀義は重国の婿となり、現地で5人目の子供・佐々木義清(よしきよ)が誕生しています。

3ページ目 恩を仇で返す!?敵方に奉公する息子たち

 

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