負傷した片腕をノコギリで!?江戸時代の侠客「腕の喜三郎(うでのきさぶろう)」の強烈な逸話
江戸時代、江戸っ子は気が早いことから、派手なけんかが多かったことをいう表現、「火事とけんかは江戸の花」があります。けんかは日常茶飯事だったのだと想像しますが、なかには強烈なエピソードを持つ出来事や人物もいました。
そこで、今回の記事では、「腕の喜三郎(うでのきさぶろう)」と呼ばれた人物についてご紹介したいと思います!
そもそも、侠客とは?
腕の喜三郎(うでのきさぶろう)は、侠客(きょうかく)なのですが、まず侠客について説明を少しだけできればと思います。
もともとは、中国において義侠心で人の窮境を救う武力集団でしたが、日本では少し意味が違います。無頼の「やくざ者」に対する美称として用いられてきました。
日本では、室町時代のかぶき者(常軌を逸脱した行動や伊達者であることを誇りにする)からはじまり、江戸時代には義侠的行為で体制に反抗する者たちを指す言葉となりました。
腕の喜三郎(うでのきさぶろう)とは?
腕の喜三郎(うでのきさぶろう)は、出生年がわかっていません。江戸時代前期の侠客で、けんかにまつわる強烈なエピソードが残っています。
それは、寛文のころ(1661年~1673年)江戸神田で旗本奴(やっこ)とけんかした際のこと。彼は相手を数人斬りましたが、彼自身も片腕を負傷し、ほとんど取れてしまいそうなほどだったとか。
彼はその腕を、「みっともない・見苦しいから」という理由で自分の子分にのこぎりで切り落とさせたのです!このエピソードは世間を驚かせ、彼は「腕の喜三郎」と名を改めます。その後、出家した際には「片板」と号しました。
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