人の真価は死に様にこそ…明治時代の士族叛乱「福岡の変」に散った英雄たちの最期【下編】:2ページ目
まったく豪い者だ……武部小四郎の立派な最期
「少年たちと、最後に話はできぬか?」
各獄舎に囲まれた中庭を通る時、武部は看守に訊ねました。ずらりと居並ぶ獄窓のどれかに、少年たちがいるはずです。
「ならんならん!何を吹き込むか分かったものではない!」
看守が拒絶すると、武部は冴え冴えとした月の下に立ち止まりました。
「ならば……我が一声をもって伝えるよりあるまい」
「何だと?」
武部は胸も破けよ、誠心とび出でよとばかりに息を吸い込むと、内臓まで吐き出さんばかりの大音声で叫びます。
「行くぞー……っ!」
これが何を意味しているか、少年たちだけには伝わりました。
「「「先生……っ!」」」
当時の感激を、後に奈良原至は作家の夢野久作(ゆめの きゅうさく)にこう述懐しています。
「あれが先生の声の聞き納めじゃったが、今でも骨の髄まで沁み通っていて、忘れようにも忘れられん。あの声は今日までわしの臓腑(はらわた)の腐り止めになっている。貧乏というものは辛労い(しんどい)もので、妻子が飢え死によるのを見ると気に入らん奴の世話にでもなりとうなるものじゃ。藩閥の犬畜生にでも頭を下げに行かねば遣り切れんようになるものじゃが、そげな時に、あの月と霜に冴え渡った爽快な声を思い出すと、腸(はらわた)がグルグルとデングリ返って来る。何もかも要らん「行くぞオ」という気もちにもなる。貧乏が愉快になってくる。先生…先生と思うてなあ…」
かつて維新の大義を掲げて戦ってきたものが、いざ自分たちが勝利し、官軍となったら贅沢三昧を尽くし、処世術に長けた者だけが賢しらに立ち回る……そんな中にあっても、志を忘れず生きるように伝えた武部の一声は、少年たちの胸に響き続けました。
……さて、話を戻して武部はいざ処刑に臨み、斬り手に伝えます。
「これから気を整えるゆえ、よしと言うまで斬らぬように」
精神を統一して見苦しい死に様を晒さぬよう、また、斬り手が焦って失敗しないよう配慮したのですが、これは往時の武士たちが最高の状態で死を受け入れる作法でもありました。
「よし!」
果たして一刀の下に武部の首は斬り落とされましたが、その胴体は背筋を伸ばしたまま、まるで生き続けているかのようだったそうです。
「まったく武部は豪(えら)い者だ……平生よほどの覚悟がなければ、これだけの最期は遂げられまい」
世の中は 満つれば欠ける 十六夜の
つきぬ名残は 露ほどもなし【意訳】世の中、満ちれば必ず欠けるもの……十五夜を過ぎた十六夜月(いざよいづき)に露ほども未練はない
なすべきことはすべて成したのだから、結果はどうあれ思い残すことはない……武部の辞世には、そんな潔さが表れています。
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