戦時中にはスパイ容疑も。アメリカの大富豪に見受けされた祇園の名妓「お雪」の波乱万丈な生涯:2ページ目
2ページ目: 1 2
お雪はモルガンの死後、その遺言によりアメリカに帰化しようとしますが、前年に成立した排日移民法のためにアメリカに帰化することが許されませんでした。
お雪はその後、モルガンの遺族との裁判でかちとった遺産60万ドルの利子を携えて、フランスで悠々自適に生活。のちに、当地で出会った言語学者のフランス軍士官とマルセイユに移り、彼の学費などを援助しながら同棲生活を送ります。
ところが、その彼も1916(大正5)年に心臓麻痺で死亡。以後、ニースの別荘で一人暮らしをします。
1938(昭和13)年、姉の病気の看病のために帰国したお雪は、京都の紫野で晩年を過ごしました。第2次世界大戦中は、無国籍だったために、特高にスパイの嫌疑をかけられるなどして苦労もしたそうですが、1963(昭和38)年に亡くなるまで、モルガン・ユキと名乗っていたそうです。
お雪の遺骨は現在、京都府京都市東山区にある同聚院と鹿苑寺(金閣寺)の裏にあるカトリックの墓地に分骨されています。
その生涯は、まさに波乱万丈といっても良いかもしれません。
参考
ページ: 1 2