「あの娘、生意気じゃない?」欲に目がくらんで同僚を惨殺した女官・長野女王のエピソード:2ページ目
2ページ目: 1 2
「……はい。いくら同じ女孺(めのわらわ)とは申せ、殿下に対する態度がなっておりませぬ」
この場合「態度がなっていない」とは「何が何でも気に食わない」と同義であり、船延福女にじっさい非があったか否かは、もはや是非に及ばぬところ。
「しかも見た?あの娘、大した家柄でもないくせに、上等の着物を持っていたわよ」
恐らく、苦しい生活の中から少しでも娘によいものを着せてやりたい、一生懸命に奉公して、よりよきご縁に巡り合って欲しいという親心だったのでしょう。
しかし、それが仇となって長野女王らの標的にされてしまいます。
「あのような美々しき御召し物は、殿下にこそお似合いにございまする」
「……そうとなれば、とるべき道はただ一つね」
「はい!」
その夜、二人は寝静まった船延福女を絞め殺してしまいました。
殺した船延福女の顔の皮を……
「……殺(ヤ)ったわね」
「はい、これであの衣は殿下のもの。でも……」
「あの死体は、流石にまずいわよね……」
船延福女の遺体を放置しておく訳にもいかないので、二人は彼女の顔の皮を剥いで、内裏の外へ遺棄したのでした。
「これで誰だか判らないでしょ……多分」
それでどうしてバレないと思ったのか、翌朝になると案の定、顔の皮を剥がされた無残な遺体が発見されます。
顔は判らなくても生きている者の点呼をとれば、いなくなった船延福女が遺体の主とすぐに特定され、彼女と同室であった長野女王と出雲家刀自女が真っ先に疑われるのは自明の理。
「「……はい。申し開きようもございませぬ……」」
かくして弘仁8年(817年)5月27日、二人は遠く伊豆国(現:静岡県伊豆半島)へ流罪となり、そのまま消息を絶ったということです。
※参考文献:
森田悌訳『日本後紀(下)』講談社学術文庫、2007年2月
ページ: 1 2