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男尊女卑が当たり前の江戸時代、数々の武勇伝を残した美人女伊達 「奴の小万」【中編】

男尊女卑が当たり前の江戸時代、数々の武勇伝を残した美人女伊達 「奴の小万」【中編】

お雪・木津屋へ戻る

京の御所で奉公していたお雪は、木津屋の主・五郎兵衛の急死で大坂に呼び戻され、木津屋の女主人として大店を任されることになります。

御所勤めで5年間大阪を離れていたとはいえ、同業者の寄り合いでは“奴の小万”と色眼鏡で見られることも多かったようです。

そのような状況の中、正月の薬種業仲間の寄会でお雪は、19歳の木村孔恭と出会い意気投合します。孔恭は15歳で父親を亡くして商家の家業を継いだのでした。

お雪は孔恭の妻の示子とは幼馴染の間柄ということもあり、家族ぐるみで親交を重ねていくことになります。

 

木村孔恭とは後に木村蒹葭堂と呼ばれる人物で、幼い頃より植物や物産に興味を持ち、8歳の頃から漢詩や書画を学びました。ちなみに書画の師はお雪と同じ柳沢淇園だったのです。

孔恭は家業を継いだ後も学芸に励み、本草学・文学・物産学・黄檗禅に精通し、オランダ語ラテン語を得意とし、書画・煎茶・篆刻を嗜むなど極めて博学多才の人でした。

また書画・骨董・書籍・地図・鉱物・動植物標本・器物などのコレクターとして有名であり、その知識や収蔵品を求めて諸国から様々な文化人が彼の書斎である“蒹葭堂”に訪れました。

木村(孔恭)蒹葭堂は幅広い交友があり当時の一大文化サロンの主となっていきました。ただこの時点でさえ“奴の小万”は蒹葭堂など及びもつかない大阪の人気者だったのです。

しかしお雪は幼い頃より諸芸に興味があったので、蒹葭堂サロンの一員となり、画家、儒学者、俳人等の文人から大名まで当代一流の知識人と交友を重ねるようになっていったのです。

【後編】へ続きます。

 

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