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男尊女卑が当たり前の江戸時代、数々の武勇伝を残した美人女伊達 「奴の小万」【後編】

男尊女卑が当たり前の江戸時代、数々の武勇伝を残した美人女伊達 「奴の小万」【後編】

前回までのあらすじ

浪速の豪商・木津屋の娘お雪は、教養にもまた柔術にも長けた少女でした。

16歳の四天王寺参りの時に物盗りの男二人を投げ飛ばしてしまいます。その噂は大阪中に広まりやがては芝居にまでなって“奴の小万”と呼ばれるようになります。

やがて家の商売を継いだお雪ですが“奴の小万”の影から逃れられずにいます。そんな時、大阪の一流の知識人である木村蒹葭堂という人物と知り合い、そのサロンの一員として活躍するようになります。

いままでのあらすじはこちら

男尊女卑が当たり前の江戸時代、数々の武勇伝を残した美人女伊達 「奴の小万」【前編】

2021年現在「世界男女平等ランキング」において、日本は対象国153カ国中なんと120位。もちろんG7(フランス、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ。世界でも裕福な自由民主主義国…

男尊女卑が当たり前の江戸時代、数々の武勇伝を残した美人女伊達 「奴の小万」【中編】

前回のあらすじ前回のあらすじはこちら[insert_post id=157155]浪速の豪商木津屋の娘“お雪”。幼い頃から書画を始めとする教養を身につけながらも、武術も身につけたお雪は、1…

三好正慶尼

宝暦6年(1756)、28歳になったお雪は「女の家主は3年まで」いう法令に従って、番頭に店を譲ります。

そしてお雪はなんと剃髪して尼となり仏門にはいります。そして“三好正慶尼”と号して寺に寄宿しました。

のちにお雪は道頓堀川近くの難波村で知人の家を転々としながら暮らすようになります。そして遊所の芸妓たちに俳諧や和歌・筝などを教えていたようです。そのような暮らしを正慶尼は楽しんでいたようです。

 

その後“関白秀次二百年忌大追善”を天王寺の月江寺で営んだ際には、にわか雨で困っている参詣人たちを見た正慶尼が、雨傘1000本を買いに走らせ人々に配ったといいます。

こういうところにお雪(正慶尼)の困った人たちを見過ごせない、心根の優しさを見るのは筆者だけではないと思います。

三好正慶尼は徳川家に憚ることなく豊臣方の冥福をおおっぴらに祈り供養するなど、世間を大いに驚かせました。

その後、居を“月江庵”と名付け、その門に自分で用意した棺桶を立て掛けて、人を集めて宴をしたり、遺産金を全て京都大仏に喜捨するなど、大胆で何かを卓越した人であったようです。

2ページ目 三好正慶尼の晩年

 

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