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もうカタギに戻れない…殺人を犯した明治時代の美人芸妓・花井お梅の末路【上編】

もうカタギに戻れない…殺人を犯した明治時代の美人芸妓・花井お梅の末路【上編】:2ページ目

歌舞伎役者の源之助にフラれ……

さて、新橋花街にその人ありと知られ、憎まれっ子世に憚るを地で行ったようなムメでしたが、そんな彼女も恋をすることがあったようです。

そのお相手は歌舞伎役者の四代目 澤村源之助(さわむら げんのすけ)。ムメは第百三十三国立銀行(現:滋賀銀行)のとある頭取に囲われながら、貢がれたカネをせっせと源之助に貢ぎました。

しかし源之助にその気はなかったようで、

「これから芸道に邁進したいから、あなたと一緒になるつもりはない」

とまでは言ったかどうだか、交際を断られてしまいます。それで大人しく引き下がるようなムメではなく、さんざんモメた挙句に源之助の付き人である八杉峰三郎(やすぎ みねさぶろう。峯三郎、峯吉とも)までクビ(※)にされる大騒ぎに。

(※)峰三郎はムメに誑し込まれて源之助との仲立ちを買って出るなどしたのかも知れません。

「姐さん、あっしはこれからどうすれば……」

「心配要らないよ。あたいが雇ってあげるからね」

峰三郎はムメの箱屋(はこや。芸妓が御座敷へ出かける際、三味線を入れた箱を持ち運ぶ下男)として雇い、源之助へ当てつけのつもりか、何かと懇ろになったようです。

そんなムメが25歳となった明治20年(1887年)、パトロンの頭取が出資して日本橋浜町(現:東京都中央区)で待合茶屋「酔月楼(すいげつろう。水月とも)」を開業。

「ねぇ、パパぁ。あたい浜町にお店開きたぁい……♪」

「あぁ。いいともいいとも……おカネならパパが出してあげようじゃないか……」

とか何とか、現代でもどこかにありそうなノリで待合の主人に収まったムメですが、25歳ともなれば中年増(ちゅうどしま)と呼ばれ、花柳界の最前線はそろそろ若い娘たちに譲ってもいい頃合いでした。

(……まぁ、それは良かったけれど……)

ムメには新たな悩みの種が出来ていました。店を持って以来、何かと旦那ヅラをするようになってきた峰三郎の存在です。

【下編に続く】

※参考文献:
朝倉喬司『毒婦伝 高橋お伝、花井お梅、阿部定』中央公論新社、2013年12月
紀田順一郎『幕末明治風俗逸話事典』東京堂出版、1993年5月

 

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