本多忠勝、徳川四天王の一人であり徳川家最強の武将。生涯で57回もの合戦に参加!:2ページ目
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本多忠勝はどんな人物だった?
「徳川四天王」「徳川三傑」「徳川十六神将」の一人として、徳川家において最強の武将だったと評されているのが本多忠勝です。
勇猛果敢な人物として知られていますが、それは若いころからも現れており、15歳のときに参加した戦いで、叔父に自分の倒した敵の首を取るように言われたときも、忠勝は「人の力を借りた功などいらぬ」と断ったそうです。
また、長篠の戦いのあと、織田信長は、本多忠勝を「花も実も兼ね備えた武将である」としてほめたたえました。ここで言う「花」とは、兜や鎧などに気を遣い、相手を威圧する姿を指しています。
また、豊臣秀吉からは、「日本第一、古今独歩の勇士」として評されました。
いかがでしたか?今回は、徳川家康の右腕として活躍し、徳川家最強の武将とも名高い、本多忠勝についてご紹介しました。
この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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