【錦絵で見る明治維新】文明開化の明治時代、錦絵はジャーナリズムの役割も担っていた
明治時代の錦絵は、綺麗なだけでなくジャーナリズムの役割も持っていました。
一般市民は錦絵を見て、横浜の発展や鉄道の開通といった近代化の様子を知ることができました。
明治時代の錦絵を通して、文明開化の気分を味わってみませんか?
錦絵って何? 江戸時代の浮世絵との違いは?
錦絵とは、多色摺りの浮世絵のことを言います。
参考:
浮世絵とは?錦絵との違いや版画ではない肉筆浮世絵など作品と共に紹介します
浮世絵は、元々は墨一色のモノクロでしたが、時代とともに版画技術の向上によって使える色の数が増えていきます。
カラフルな錦絵が最初に登場したのは江戸時代中期頃で、機会印刷に取って変わられる明治末期頃まで摺られていました。
明治時代になると、海外から輸入した安価で発色の良い染料が使えるようになり、錦絵は一層鮮やかなものになりました。
また、江戸時代の錦絵が娯楽品だったのに対し、明治の錦絵はジャーナリズムの役割を持っていました。
江戸時代の浮世絵には幕府による規制があり、幕府を批判する内容、風紀を乱すもの、色数や技巧の面で贅沢すぎるものを作った場合は処罰の対象となりました。
しかし、時代は変わり、明治政府の新出版法令により江戸時代の規制は廃止されます。
ここから、明治の錦絵は文明開花の様子を伝えたり、世間のスキャンダルを取り扱う、ジャーナリズムの要素を持つようになりました。
横浜開港と港町としての発展
1859年、横浜を拠点とし、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダとの貿易が始まります。
煉瓦造りの領事館や外国人居留地ができていき、異国情緒漂う港町に発展していく横浜は、文明開花の象徴でした。
歌川貞秀「神名川横浜新開港図」です。港ができたことにより、横浜は活気のある街となりました。
日本初の鉄道
明治5(1872)年、イギリスの協力を得て、横浜〜新橋間で日本初の鉄道が開通しました。
当時、蒸気機関車は「陸蒸気(おかじょうき)」と呼ばれ、沿線は列車を見にきた人々で溢れかえったと言います。
新橋~横浜間を50分で走破!明治維新後に誕生した日本最初の鉄道。その名も「陸蒸気」【その1】
こちらは汐留駅で蒸気機関車を待つ人々の様子です。
文明開花の時代らしく、着ているものも和服、洋服、髪型もザンギリ頭にちょんまげ頭とさまざまです。