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情熱の歌人・与謝野晶子とアール・ヌーヴォーの画家・ミュシャの意外なつながり

情熱の歌人・与謝野晶子とアール・ヌーヴォーの画家・ミュシャの意外なつながり

19世紀末からヨーロッパで興ったアール・ヌーヴォー様式の作品は日本にも展覧会などで展示されており(第五回白馬会の展覧会で“トスカ”が展示された)、日本の画家のあいだでも受容されていました。

「明星」の表紙や挿絵にミュシャのエッセンスを取り入れた絵が使われました。東京新詩社は与謝野鉄幹が主宰しており、「明星」は晶子も歌人として活躍した雑誌でもあります。

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一条成美(いちじょう なるみ)という明治時代に活躍した挿絵画家が残した作品の世界がとっても素敵で、紹介せずにはいられない!当時の雑誌(文芸誌や女性誌)に詳しい方の間では有名な画家らしいのですが…

ちなみに、晶子は、1908年(明治41年)に鉄幹の後を追ってパリを訪れており、いくつかパリへの愛を語った歌も残しています。また、晶子と鉄幹のあいだには6男6女の12人の子どもがおり(そのうち1人は生後2日で亡くなっています)、四男はアウギュスト(のちに“いく”と改名)、五女にエレンヌという名前をつけています。

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歌集『みだれ髪(明治三十四1901年)』や『君死にたまふことなかれ(同三十七1904年)』をはじめ、古典『源氏物語』の現代語訳など多彩な文芸活動で知られる明治~昭和の歌人・与謝野晶子(よさの あきこ)…

いかがでしたか?

文学と絵画という二つのまったく違うフィールドで活躍した与謝野晶子とミュシャ。しかし、雑誌「明星」を通じて、意外なつながりを持っていたことがわかりました。

この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

 

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