北条義時の妹、そして妻となる”二人の阿波局”の存在ー大河ドラマ「鎌倉殿の13人」:2ページ目
北条義時の妻・2人目の阿波局
先ほども紹介した通り北条泰時の母に当たる人物ですが、その出自は不明。御家人・加地信実(かじ のぶざね)の娘に阿波局がおり、彼女ではないかとする説もあります。しかし信実と泰時の年齢が近すぎるため、ちょっと無理があるでしょう。
北条義時にとって最初の妻と見られますが、身分が低かったためか正室としては扱われず、後に比企氏の美女・姫の前(ひめのまえ)に一目ぼれした義時は、そっちを正室に迎えました。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では誰が演じる?北条義時が熱愛した正室・姫の前
建仁3年(1203年)に比企氏が滅亡すると、今度は伊賀の方(いがのかた)を継室に迎え、これが後に義時の後継者争い(伊賀氏の変。貞応3・1224年)を生み出すのですが、比企氏と言い伊賀氏と言い、義時にまつわる女性は何かとトラブルの火種となっている印象です。
結局、泰時が義時の跡目を継ぎましたが、阿波局は側室だったからか、あるいはそもそも控えめだったのか、他の女性たちのように当主の後ろ盾としてグイグイ出てくることもなく、静かに生涯をまっとうしたのでした。
終わりに
以上、北条義時の近くにいた2人の阿波局を紹介しましたが、妻の方はそんなにキャラクターが濃くないため、恐らく大河ドラマには登場させず、いつの間か息子・泰時がいたように描かれるものと予想しています。
(あえてストーリーに絡める必要性が薄い上、妻子がいながら他の女性にアプローチする姫の前の一件は、現代の価値観とも相容れにくいでしょうし)
それでも「阿波局が2人いた」ことを知っておくと、やがて北条泰時の母親が「阿波局」と知った時に「え!義時は自分の妹と子供を作ったの?」などと誤解することもなくなるでしょう。
何かと控えめだった(らしい)義時の妻の方の阿波局も、覚えておいて頂ければと思います。
※参考文献:
上横手雅敬『鎌倉時代 その光と影』吉川弘文館、2006年12月
永井晋『鎌倉幕府の転換点 『吾妻鏡』を読みなおす』日本放送出版協会、2000年12月
細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月