四国の香川県と関係はあるのか?関東武士「香川一族」の歴史と不思議なご縁:2ページ目
近いけれどイコールではない、香川一族と香川県の関係
まずは、神奈川県の香川について。この辺りはかつて相模国高座郡香川村と呼ばれ、相模国に勢力を伸ばしていた鎌倉(かまくら)一族の一人・助大夫高正(すけのたいふ たかまさ)が地名をとって香川高正と称しました。
その子・香川権大夫家正(ごんのたいふ いえまさ)は源頼朝(みなもとの よりとも)公の挙兵に敵対して滅ぼされますが、その子の香川五郎景高(ごろう かげたか)は源氏に従い、源義経(よしつね)から経の字を拝領して香川経高(つねたか)と改名。
経高の子・香川三郎経景(さぶろう つねかげ)は承久の乱で武功を上げたことによって安芸国(現:広島県西部)と讃岐国(現:香川県)に所領を賜り、経景の子である香川刑部大輔景則(ぎょうぶのたいふ かげのり)が讃岐国へ移住したと言います。
その後、香川一族は室町幕府の管領・細川(ほそかわ)氏に仕えてその家中に頭角を現し、応仁の乱(応仁元・1467年~文明9・1477年)で活躍して細川四天王(香川元明、香西元資、奈良元安、安富盛長)に数えられました。
戦国時代には讃岐国の西半分を治める守護代となっており、毛利(もうり)・織田(おだ)・長宗我部(ちょうそかべ)と言った強大な勢力と渡り合い、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)によって改易(領地を没収)されるまで、乱世を闘い抜きます。
「こういう香川一族の歴史に基づいて、讃岐国は香川県になったのだろう。坂東武者の末裔が県名になったなんて凄いなあ!」
……と、昔は思っていたのですが、調べてみると「香川」という名称(香川郡。現:高松市)は奈良時代以前からあったようで「香河」「介加波(けかは)」などと表記されていたそうです。
【香川県と香川一族、それぞれの由来】
香川県…古代律令時代からあった讃岐国香川郡に由来。
香川氏…相模国高座郡香川村に由来。後に讃岐国へ移住。
とても近いけれどイコールではない、とても不思議な香川一族と香川県のご縁。もしかしたら、香川どうし互いに惹かれ合っていたのかも知れませんね。
※参考文献:
太田亮『姓氏家系大事典 第1巻』姓氏家系大辞典刊行会、1934年11月
青井常太郎 編『讃岐香川郡志』大和学芸図書、1978年11月
「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大事典 37 香川県』角川書店、1985年10月