戦国乱世から太平の世へ…新時代に適応した忍者・鳶沢甚内の転職エピソード:3ページ目
盗賊から古着屋へ商売替え
風魔小太郎が処刑され、向崎甚内を追い落とし……開業?から20数年、ついに盗賊業界のトップに上り詰めた鳶沢甚内でしたが、このままでは遠からず自分も同じ末路をたどるのは目に見えています。
「こいつぁちょっと、考えにゃあならんな……」
そう言えば、かつて同じ北条氏に仕えていた忍びの庄司甚内(しょうじ じんない)が江戸一帯の遊女を掻き集めて遊女屋の経営を始めたと聞きました。
(※余談ながら、鳶沢甚内と向崎甚内、そしてこの庄司甚内の三人を「江戸の三甚内」と呼ぶそうです)
この庄司甚内は後に吉原遊郭を創設し、その惣名主として大成功を収めることになります。新たな時代の到来が予感される中、本格的に商売替えをしないと、ほどなく淘汰されてしまうでしょう。
「よし、ここは一つ古着屋をやろう!」
一念発起した鳶沢甚内は盗賊稼業から足を洗い、日本橋の近くで古着屋を開業しました。現代で言うリサイクルショップの走りですが、古着というのが商売のミソでした。
古着というのはたいてい二束三文ではありますが、入手しやすい(≒盗みやすい)ので、その日暮らしの泡銭(あぶくぜに)を手っ取り早く稼ぎたい者が盗みを働き、売りに来ることが多いのです。
それが盗品か否か、盗品であれば本人が売りに来ているのか代理の人間が持ち込んでいるのか、売り手(買取希望者)の表情や身なり、仕草を観察していると、そういう情報を探り出すことが出来ます。
また、よほど盗みに慣れた者でなければ他人の邸宅に忍び込んでモノを盗み出すというのは大変な苦労ですから、それに見合った対価を得ようと(いかにこの古着が由緒ある高級品か、など)話に尾ひれをつけるもの。
人間、嘘をつくにしてもまったく一から空想をでっち上げるというのはなかなか才能がいるもので、嘘の中に散りばめられた真実=情報を拾い集め、丹念に織り上げていくのは元・忍者が得意とするところでした。
そういう諸々を総合して、売りに来たクロな者を「奉行所に密告するか」「まだ泳がせておいた方が得か」「優秀であれば召し抱えるorどこぞへ推薦するか」などを判断。
生活が苦しく、切羽詰まった人間の本性が垣間見える「盗み」の対象となりやすい古着を扱うことで江戸や各地の情報や人材を集め、時にはこれらをネタに奉行所と取引したとも言われます。
終わりに
かくして鳶沢甚内の古着屋は大繁盛。その周りには少しでもあやかろうと古着屋を開業する者たちが集まり、一帯は鳶沢町(現:日本橋富沢町)と呼ばれるようになったそうです。
情報を制する者は天下を制す……忍者から盗賊、そして(表向きは)古着屋として成功を収めた鳶沢甚内。
新たな時代の流れを読み、柔軟に適応できた好例として現代の私たちに教訓を伝えてくれます。
※参考文献:
清水昇『戦国忍者列伝 乱世を暗躍した66人』学研M文庫、2010年5月
別冊宝島『日本史の闇を支配した「忍者」の正体』宝島社、2013年6月