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戦国大名もブランド重視?徳川家康と島津義久の家柄争いエピソード

戦国大名もブランド重視?徳川家康と島津義久の家柄争いエピソード:2ページ目

家康が義久に言い放った皮肉

ある時、雑談の席で家康が、義久にこんなことを訊ねました。

「島津殿はかつて数々の武勲を重ね、薩摩と大隅(現:鹿児島県)、日向(現:宮崎県)の三ヶ国を制された御大身なれば、後学のため武勇伝など拝聴したい

かく言う家康はかつて東海五ケ国(三河、遠江、駿河、甲斐、信濃)を切り取り、後に豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)から関東八ケ国(上野、下野、常陸、武蔵、下総、上総、安房、相模)を与えられており、純粋な憧れなどでないことは明らか。

(やがて豊臣の世が終われば、全国の強豪たちと再び天下を争うことになろう。今の内から、少しでも情報を掻き集めておかねば……)

一口に武勇伝と言っても、その中には敵味方の兵力差や戦術、家中の人間関係や弱点など、様々なヒントがちりばめられているもの。訊かれた側は往々にして「もっと知って欲しい、褒めて欲しい」などと思っており、あれこれ語ってしまいがちです。

まったく油断も隙もありませんが、そんなタヌキ親爺の意図を知ってか知らずか、義久はそれとなくはぐらかします。

「いやぁ……お恥ずかしい話にはございますが、それがしはいつも弟や家臣らに戦わせ、自分はただ本陣に座って戦果の報告を受けるばかり。とても徳川殿にお聞かせできるような武勇伝などございませぬ」

チッ、乗って来ぬか……情報を引き出せなかった家康は、捨て台詞にちょっとした嫌味を言い放ちました。

「何を仰せられますか……総大将たる者は自らの手を砕くことなく家臣に勝利をつかませるが最上……さすがは島津殿、源頼朝(みなもとの よりとも)公もかくやとばかりの将器にございますなぁ……」

これだけ聞けば、かつて鎌倉に武士の世を開いた頼朝公に比肩する将器を褒められたのだから、決して悪い気はしない筈ですが、家康の意図は何だったのでしょうか。

3ページ目 どっちもどっちの家柄争い

 

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