戦国大名もブランド重視?徳川家康と島津義久の家柄争いエピソード
近年「自分探し」なんて言葉が流行るとおり、人間は自分のアイデンティティやルーツを求めたがる習性があるようで、中には「ウチは武士の家柄で……」なんて語り出す方がたまにいます。
自分ひとりで悦に入っている分には可愛いものですが、時々 「お前はどうせ、農民だったんだろう」 などと根拠もなくマウンティングしてくる手合いがいて、苦笑いを禁じ得ません。
農民も武士もヘチマも、天下泰平の江戸時代ならいざ知らず、いざ戦さになれば戦うヤツ(※)と逃げ出すヤツがいるだけで、本来職業もへったくれもないものです。
(※)例えば幕末、長州藩の奇兵隊や、そもそも武士の起こりが武装・自衛する農民たちでした。
まぁ、そうは言っても祖先が有名人や権威者だと、本人は何もしていなくても意味もなく誇らしく感じたり、時と場合によってはハッタリが効いたりすることもあるので、意外とバカにできません。
「おぉ、皇室に連なるお方なのですか……言われてみれば、そこはかとなく気品が感じられるような……」
「かの名将のご子孫ですか……確かに、どっしりとした風格を備えていらっしゃるような……」
そういう祖先のブランドを重んじる心情は、往時の武士たち、それこそ歴史に名を残したような人物であっても同じだったようで、今回は戦国大名の徳川家康(とくがわ いえやす)と島津義久(しまづ よしひさ)のエピソードを紹介したいと思います。