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なんともマヌケな人違いで起きた、江戸中期の熊本藩主 殺害事件の悲劇【前編】

なんともマヌケな人違いで起きた、江戸中期の熊本藩主 殺害事件の悲劇【前編】

殺傷事件

1747年。江戸城に登城していた宗孝は、厠(トイレ)を利用している際に突如として背後から勝該に襲われる。不意を突かれ背中を斬られた宗孝はそのまま絶命した。

宗孝には勝該に命を狙われる謂れはなく、31歳であった宗孝には世継ぎもいなかった。唐突に主君を失った細川家は、改易の窮地に立たされることとなる。首謀者である勝該本人は捕らえられ、同月のうちに切腹となった。

【後編】では、事件の動機や、その後の細川家の処遇をめぐるいきさつをご紹介する。

 

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