武士は刀のごとくあれ!武士道のバイブル『葉隠』が説く自制心と勇気の教え
古来「刀は武士の魂」などと言われますが、江戸時代に入ると大小二本の差料が武士の象徴とされたことは、歴史の授業で「苗字帯刀(※)」と教わった通りです。
(※)ただし、町民・農民であっても護身のため脇差を帯びることは認められており、また苗字についても公式に名乗れないだけで、私的には使われていました。
魂と言うからには、刀の扱いや状態にはその者の武士としての心構えや生き方が表れるもので、また武士を刀に喩えて自身を律することもあったようです。
そこで今回は、武士道のバイブルとして有名な『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、武士の在り方を刀に喩えて説いた一節を紹介したいと思います。
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日ごろの自制心と、ここ一番の勇気
一二〇 或人云ふ、「意地は内にあると、外にあるとの二つなり。外にも内にもなきものは、益に立たず。たとへば刀の身の如く、切れ物を研ぎはしらかして鞘に納めて置き、自然には抜きて眉毛にかけ、拭ひて納むるがよし。外にばかりありて、白刃を不断(たえず)振り廻る者には人が寄りつかず、一味の者無きものなり。内にばかり納め置き候へば、錆もつき刃も鈍(なまく)れ、人が思ひこますものなり。」と。
【意訳】
ある人は言った。
「意地とは内と外の両面にあるが、外にも内にも意地がない者は役に立たない。喩えるなら刀のように、よく切れるようにしっかり研いで鞘に納め、こまめにチェックしてメンテナンスを怠らないこと。ところ構わず抜き身の白刃を振り回していては誰も近寄って来ないが、ずっと刀を抜かずにいると、錆ついて刃も鈍(なまく)らとなり、人に侮られてしまうものである」と。
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