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武田信玄が戦国最強軍団を築けた秘密?それは、家臣の意見を採用する合議制にあった【後編】

武田信玄が戦国最強軍団を築けた秘密?それは、家臣の意見を採用する合議制にあった【後編】

苦難を乗り越え戦国最強軍団に仕上げる

1570(永禄13)年、信玄は今川氏真を追い、駿河を手中に収めます。さらに、その2年後の1572(元亀3)年、第15代将軍足利義昭の要請に応え、西上作戦を開始織田信長との全面対決に突入していくのです。

信玄は京都を見据え、遠江に侵攻します。浜松城に本拠をおいていた徳川家康を三方ヶ原で一蹴すると、三河に軍を進め、1573(元亀4)年、野田城を陥落させました。

この頃の信玄と武田軍団には、凄みすら感じられます。信玄は、武田軍を「向かうところ敵なし」という表現がぴったりな戦国最強軍団に仕上げていたのです。

三方ヶ原で惨敗を喫した家康が、浜松城に逃げ帰る際、恐怖のあまり馬上で脱糞してしまったという逸話は、武田軍団の恐ろしいまでの強さを物語っていました。

しかし、天命は信玄に味方しませんでした。野田城攻め直後から持病による喀血を起こし、病状は悪化する一方でした。信玄は、家臣たちと話し合い、甲斐撤退を決意します。そして、帰国途中の信濃で53歳の波乱の人生を閉じたのでした。

3ページ目 リーダーシップが合議制を成功させた

 

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