戦国時代、殺された恋人の仇討ちをした悲劇の烈女・勝子の最期【前編】
もし、大切な人が殺されたら、あなたはどうしますか?
現代なら法が裁いてくれますが、戦国時代は相手の身分によって、人を殺されても罪に問えないことが間々ありました。
ならば命に代えても仇を討つまで……たとえ殺されようと、泣き寝入りなど出来ない悔しさは、今も昔も変わりません。
そこで今回は、殺された恋人の仇をとった戦国時代の烈女・勝子(かつこ)のエピソードを紹介したいと思います。
幸せな未来を描くも束の間……。
勝子は尾張国(現:愛知県西部)の戦国大名・織田信長(おだ のぶなが)の弟である織田信勝(のぶかつ。信行)の侍女として仕えていました。
京都出身とのことですが、生年や出自については不詳で、恐らく勝子という名前についても「信勝に仕えていた女子(例:北条時政の娘で北条政子)」程度の意味で、本名は不詳だったものと考えられます。
でも、勝の字がつけられるくらいだから相応にお気に入りだったのでしょう。そこで信勝は、同じくお気に入りの家臣・津田八弥(つだ はちや)と縁組をさせることにしました。
この八弥、元は下民の出身だったそうですが、その才覚をもって信勝に取り立てられ、織田の一族である津田の名字を与えられたようです。
「二人とも、末永く仲睦まじく、織田家の柱石となってくれよ」
「「ははぁ」」
聞くところによれば、家中随一の美男美女だったそうで、ますます織田家の将来は安泰……となればよかったのですが、こういうトントン拍子の時には、たいてい邪魔が入るものです。
「八弥のヤツめ……勘十郎(信勝)様のご寵愛をいいことに、我ら譜代をないがしろにしおって……っ!」
妬んでいたのは佐久間七郎左衛門信辰(さくま しちろうざゑもん のぶとき)。織田家の筆頭家老・佐久間右衛門尉信盛(うゑもんのじょう のぶもり)の弟で、家中に権勢を誇っていました。
ポッと出の新参者にお株を奪われて面白くないのは、いつの世も同じこと……まして才覚もあってこれから美女を娶るとあれば、妬んでしまうのも解らなくはありません。
……が、内心で思うだけなら仕方ないとしても、七郎左衛門は八弥を暗殺してしまったのです。