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能力はあるはずなのに…ネガティブな性格ゆえに能力を活かしきれなかった戦国武将・毛利隆元

能力はあるはずなのに…ネガティブな性格ゆえに能力を活かしきれなかった戦国武将・毛利隆元

隆元の死で気が付くもの

そんな隆元でしたが、永禄6年(1563)に40歳で父より先に亡くなります。元就は隆元の死を大いに悲しみ、隆元に従っていた家臣たちを暗殺容疑で切腹に追い込んでいます。

また、隆元の死後には毛利家の収入が減少し、財務能力の高さによって毛利家が支えられていたと思い知った元春と隆景は、隆元の残した毛利家と輝元を支えるべく一層尽力するようになりました

最後に

誰もが認める功績を残した元就の後を継ぐ隆元の気苦労は計り知れないものだったと思います。隆元は元就の功績を自分が駄目にしてしまうことを特に恐れ、厳島神社に自分の命と引き換えに元就の長生きを願うほどでした。

それくらいのことをしてしまう背景には性格もありますが、隆元は元就のことを神のように見ていたように思えます。

隆元自身能力はあったので、もう少し長生きして元就から戦のイロハをとことん鍛えてもらえれば、大きく化けていたのではないかと思ってしまいます。

参考:長谷川ヨシテル『ポンコツ武将列伝』

 

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